いける日刊・たまたゆ新聞 の 2010 の 4月
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2010年4月

いける日刊のバックナンバー

ドシラソファミレス

暖色系の明かりが灯り、テーブルに置かれた温かいスープとその湯気の隙間から、何日も煮込まれたソースの薫りが漂う。ナイフとフォーク、白い食器のカチャカチャという音が心地よく微かに聞こえ、お父さん、お母さん、子供の何とも言えない笑顔が並ぶ。

「どうぞ、こちらがご注文の牛を細切れに切り刻んだ肉を集め、焼き上げた特製ハンバーグでございます。」

「熱いから、気をつけるんだよ。」
「ほら、もっと食べないか、食べないんだったらお父さんが食べてしまうぞ。」
「いやだよー。大好きなものは、一番最後に食べるんだよー。」
「ほぅら、食べちゃうぞ~。」
「もう、やめてよ~。」
「これこれ、貴方たちそんなことしてたら、せっかくのご馳走が冷めてしまうわよ。」
「お、そりゃそうだな。」
「や~い、お父さんも怒られた~。」
「こりゃ、お父さんやられちゃったな。」
「はははははは。」
「あははははは。」
「お父さんったら。ほほほほほ。」

と、まぁこのような光景は、実際のところ気持ちが悪くて、この世の中にあってはならない。しかし、僕の小さい頃のファミリーレストランというのは、多少なりともこんなイメージの疑似体験をさせてくれていた気がする。何をもってファミリーレストランとするのか多様化する営業形態が増える中、その定義は曖昧なのだが、いつの頃からかファミリーレストランを「ファミレス」と呼ぶようになってからは身の毛もよだつ疑似体験をさせてくれるファミリーレストランは無くなってしまった。夫婦共働きの家庭も増え、店側のお客に対するサービスの考え方も変化し合理性の追及とサービスの均一化が加速したこともあり、現在の「ファミレス」利用客の主流は、仕事の待ち合わせや打ち合わせ、学生の溜まり場、不倫の密会、マルチ商法の商談スペース、暇なご婦人の井戸端会議室となって見渡した店内は家族レス。なんとも、皮肉に聞こえる「ファミレスに行こう」。

家族皆で演じなければなないような疑似体験ばかりでは疲れるし、その中で育つ子供はロクな大人に育たないだろうけど、僕は「ファミレス」が「家族レス」なのはどうかと思う。

でも、ドリンクバーは有難かったりする。

2010年4月4日 21時16分 カテゴリー:「それでもドロップキック」

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