2011年12月
僕の住む町には樹齢500年をこえる大きなイチョウの木があって、毎年この時期になると無数の葉があたり一面を静かに黄金に染めあげる。目の当たりにする自分のこころの生成消滅と相続運動が、去年に増していい加減さを映し出す。百歩譲って全部がウソで成り立っていたとしても、そして、全部がうまくいっていたとしても、勘違いの小さな幸せを見捨ててしまうようなら、それはウソだと思う。冬至を前にして、無責任にもためらいながら無責任(原発)はいらないと思っている。
2011年12月11日 14時58分 カテゴリー:「それでもドロップキック」